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| ■ 2010/03/15 ガラパゴスのダイビング死亡事故
投稿者: 編集長テラ |
- 2010年2月14日に起こったガラパゴスのダイビング事故について、現場に居合わせた男性ダイバー(ジョン・ビスナー)のリポートを翻訳したものを紹介します。
※このダイバーが事故専門の弁護士であることも特筆すべきことでしょう。
このページは、ダイビング・ドット・コミュ
さんの記事を転載させてもらったものです。
- (ガラパゴス - 2010年2月12日 -犠牲者E.G.)
※2010年2月14日ジョン・ビスナー記
- ガラパゴス・アグレッサーII号に乗船していた14名のダイバーにとって、本格的ダイビング・アドベンチャーの一本目は、23歳のテキサス州ガルベストン生まれ・ニューヨークで保母さんとして働くE.Gの死で終わった。何が起こったのか、E.G.がどのように死亡したのかについてのより詳細な情報について、数多くの要請に答えるために以下の状況描写を提供したい。
- 最初にE.G.の家族や友人に心から哀悼の意を表しておきたい。私には、あなた方の痛みを和らげたり、失ったものを元に戻してあげる言葉さえない。しかし、E.G.は私たちの心と記憶の中に生き続けている。しかし、運命のいたずらによってE.G.は今でも、私の妻キンバリーと私と共にある。
- 第二に、E.G.は先生だった。彼女が愛したスポーツが元で命を失った彼女の最後の行為を、私たちすべてのための、特にスキューバ・ダイバーの教訓にしよう。E.G.の名のもとに、彼女へのオマージュとして、彼女の悲劇からなんらかの教訓を私たちが学べることを願って、自分自身の幼稚園の先生やダイビング・インストラクターから学んだ時のような謙虚な精神で、この記事のあとにあるコメントセクションで、何が起こった可能性があると考えるのか、そしてどうすればこのような悲劇を将来的に防止することができるのか、皆さんのお考えをお聞かせいただきたくお願いします。
- 2010年2月11日の木曜日。サン・クリストバル島の空港の荷物のピックアップ場所でキンバリーと私はE.G.、デニーズ・フリオ、ダイブマスターのジェイミー、パトリシオおよびアドベンチャーを共にする他の10名のダイバーと出会いました。E.G.とデニーズはすぐに仲良くなり、旅を共にする二人組の女性になりました。彼女たちはすぐに二人ともテキサス出身であることを発見したのです。
- 私たちはガラパゴス・アグレッサーII号までバスで運ばれ、直ちに乗り込みました。
短いブリーフィング、部屋の割り当て、荷物の積み込みを終えた後、すべての乗客ダイバーが短い「チェック・ダイブ」のために水に入り、器材チェックと器材慣れを行ないました。そのダイブは約20分間で、深度は6m未満でした。
E.G.は、私たちの多くがそうであったように、中性浮力をとる適正ウエイト量を見つけるのに苦労していました。ウエット・スーツが重く、また塩分濃度が高かったからです。それでも、すべては順調であるように思えました。
- 翌日2月12日の午前6時30分をちょっと過ぎたくらいに私たちは朝食をとり、引き続きジェイミーのダイビングに関するブリーフィングがありました。ジェイミーはホワイトボード上に描かれた地図を使ってポイントと潜水計画を説明しました。地図で見る限り私たちはノースセイモア島の最東部あたりにいました。インストラクションの中で、ジェイミーは、透視度は約18m、最大深度27mより行かないよう指示しました。複雑な流れがあり、潜水時間は最長1時間とも指示されました。彼は安全にポンガ(小型ダイビングボート)周辺に浮上するにはどうしたらいいか、どのように水からポンガに上がるかについていくつかのコツを私たちに説明しました。キンバリーと私は、特にそれが今回の旅行の事実上、最初のダイビングであるのに、ブリーフィングがあまりに素っ気ないことに驚きました。
- 私たちは器材を装着し、7名ずつの2つのグループに分かれてポンガに向かいました。
E.G.、キンバリー、他の4人のダイバー、そして私は2番目のポンガで、ポンガの船長とダイブマスターのパトリシオが同行しました。私たちがポンガに乗り込む前に、ダイブマスターが器材確認、あるいはバルブが開いているかのチェックを行わなかったのに私は驚きました。以前に私たちはアグレッサーで二度旅行をしましたが、その時にはそうしたチェックを経験していたからです。その時点で、私はポンガの船上で、水に入る前にパトリシオが潜水計画のブリーフィングを行い、セーフティ・チェックとバルブが開いているかチェックを行うのだろうと思い込んでいましたがそれは誤りでした。
- ダイビングスポットまで、アグレッサーから約90mの移動でした。パトリシオは私たちに、彼のかけ声で一斉にバックロールで水に入るよう指示しました。そうしなければポンガが不安定になり、ポンガに残された人たちが転げ回ることになるからでした。その時点で、キンバリーと私はバルブが開いているか確認するためにレギュレーターを再チェックしました。パトリシオのかけ声で、私たちは一斉にバックロールで水に飛び込みました。
- 水に入るやいなや、私はキンバリーの位置を確認し、私たちはお互いに「OK」サインを出しました。私はマスク・クリアを行い、マスクに水が入り込む原因となっていたフードを調整し直しました。パトリシオと他の人たちは6m前後下方にいて、移動を開始していました。私は通常、早朝ダイブでは他の人たちより耳抜きが遅いので、キンバリーと私はスタートからグループの大部分の後ろにいましたが、パトリシオが先導するグループについて行くために、通常よりかなり急速に潜降しました。私はその時、E.G.がどこにいたのか知りません。私は安全に潜降し、私のバディであるキンバリーから離れないことに集中していました。
- 私のダイブコンピュータによるとその時の分単位の深度は次の通りです。1分後7m、2分後13m、3分後16m、
4分後27m、5分後30m、6分後32m、7分後31m、
8分後30m、9分後27m、10分後26m、11分後26m、12分後26m、13分後24m、14分後19m、15分後
16m、16分後16m、17分後15m、18分後16m、19分後15m、20分後
13m、21分後11m、22分後11m、23分後10m、24分後10m、25分後13m、26分後13m、27分後9m、28分後5m、29分後5m、30分後4m。
- 潜降中、パトリシオは常にキンバリーと私より深場の、島から離れた位置にいました。ジェイミーが指示していた27mよりもパトリシオが深場に私たちをガイドして行こうとするのに私は驚きました。どの時点かで私は流れに必死で耐えていたことを覚えています。私の推定が間違っていないかぎり私のコンピュータが記録している3分から5分のあたりだったと思います。
- 私は過呼吸寸前で、意識的にスローダウンしました。私はキンバリーのボディランゲージから、彼女も苦しんでいることがわかりました。9分を記録した辺りでパトリシオは島に近づき、傾斜した水底につかまり、匍匐前進で流れに逆らって移動するよう私たちにサインを送ってきました。キンバリーと私は流れと闘っていましたし、二人とも水中で快適感を味わうどころではありませんでした。
- キンバリーが言うには、彼女が苦しんでいた3分後から7分後までの間が、彼女が、彼女のすぐ後ろでより深場に向かっていたE.G.を見た最後でした。私たちは二人ともE.G.やデニーズが傾斜した水底をつかんでいるのを見た記憶がありません。キンバリーの記憶では、デニーズは彼女や私の目の前にいましたが、E.G.はキンバリーの後ろにいました。
- キンバリーと私が岩にしがみつき呼吸を整えている時(私のダイブコンピュータが記録している10分後から15分後くらいの間)、私は皆がどこにいるのか確認するために周囲を見回しました。私はこの時点でE.G.やキンバリー、私が140barをかなり下回るエアしか残していないとはわかりませんでした。これは非常に早いエアの消費です。私がE.G.を特定して探し始めたのは、デニーズとパトリシオが「誰かがいないようだ」と交信しているように見えたからです。そしてパトリシオがデニーズに「他の者たちと岩にしがみついたままとどまり、パトリシオがE.G.の後を追う」よう伝えたように私には見えましたし、彼はまさにそうしたのです。これは、13分後から17分後と記録されているころです。
- 私たちは水深10mから15mあたりを旋回している一群のサメを見るため深度を上げました。キンバリーが、最終的にエアが少ないと伝えてきたのは(私も少なかったのですが)、23分後から24分後の時点でした。私はジェイミーに、私の残圧が50barであるとシグナルを送り、彼は浮上するよう私にシグナルを返してきました。
- 私はキンバリーのところまで戻り、浮上すべく彼女の手を取りました。私は中層に出るため岩から手を離したときに流れの中で離ればなれになることを心配していたのです。キンバリーは彼女が流されてしまうと恐れているかのように私が彼女をきつくつかんでいたと言っていましたが、実際、私はそれを恐れていました。私たちがダイビングした中で、彼女をそんなにきつくつかんで離さなかったのは初めてで、嬉しかったと彼女は語りました。キンバリーもまた、流れの中で流されてしまうのが怖かったのです。
- 私たちは、3分間の安全停止を行ない、その後30分の時点で浮上しました。私はE.G.がすでに浮上しているものと思っていました。パトリシオにとっても彼女にとっても流れに逆らってグループの所まで戻ってくる方法などないと考えたからです。他のメンバーが上がってくるのを待ちながら、私たちはE.G.の姿を求めて水面を探しました。私の妻も私も、ダイバー・ホイッスルを聞いたと思ったので、別のポンガの船長にそう伝え、彼はそちらの方向に船を走らせました。私たちに誰かの姿が見えたわけではありませんが、その時はそれがE.G.だと思ったのです。今となっては、私はホイッスルを鳴らしたのはパトリシオだと思います。というのも、次に件のポンガを見たとき、パトリシオがそれに乗っていたからです。(そのポンガがホイッスルの鳴った方向に向かう前に彼が乗っていなかったかどうか、私は自信がありませんが)私には彼が心配しているのがわかりました。
- ダイバーたちが上がってきたときも、私たちはE.G.を探し続けました。私は150本程度の経験しかありませんが、E.G.が岩までたどり着けなかったとき、私には嫌な予感がありました。彼女は若く、非常にきゃしゃな体格でした。彼女は我々がやったようなやり方で流れと闘うには体力が足りないように見えました。彼女が受けたトレーニング(ダイブマスターのコースとレスキューのコースを受けたと聞きました)から考えて、彼女は流れにつかまって流されてしまっただけで、私たちと離ればなれになった後、ゆっくりとポンガまで浮上したにちがいないと思っていました。それがバディと離ればなれになったときの標準的手順だからです。
- E.G.は発見されやすくするため水面で用いるようデザインされたダイバー・フラグを持っていました。私たちはアグレッサーとポンガの双方から数時間、件のフラッグを探して水面上を捜索しました。ある時点で、アグレッサーからの水面捜索とは別に、パトリシオとジェイミーが一隻のポンガからE.Gを探して水中に潜ったのだと私は思いますが、成果はありませんでした。その間に、空中からの捜索も行われました。他の多くの船やエクアドルの沿岸警備隊が捜索に参加しました。捜索がすすむうちに、ジェイミーはE.G.探しの潜水で「心が折れた」と言ったように思います。彼は明らかに動揺していました。
- 捜索のある段階で、ジェイミーは私たちの数名に対して、午後に計画されていた上陸遠足の時間が迫っていると語りました。彼は何をするべきなのか、助言やなんらかの指示を求めているのだなと私は感じました。私は、あいまいな表現で、E.G.が見つかるまで行けないと彼に言いました。結局のところ、自分たちが脳天気に水中で楽しんでいるときに、拾い上げてもらえるかどうか分からないままの行方不明になったダイバーをほったらかしにして、休暇のダイビング旅行を誰が続行などできましょうか。
- 最終的に、4時間以上の水面捜索のあと、私たちはダイビングを行なった元の場所に戻りました。デニーズとパトリシオがE.G.が最後に目視された場所に予備のタンク(ナイトロックス)を装備して戻りました。
- E.G.が最後に目視された場所まで潜り、その後、流れに身をまかせ流れに乗ったとデニーズは私たちに語りました。深度46m地点でデニーズは51mの海底にE.G.が横たわっているのを発見しました。彼女は、どこか胎児のような格好で、眼を閉じ、安らかで静かな感じで、マスクを付けず、レギュレーターを口から放した状態だったと語りました。
- E.G.を水面まで引き上げ、検死が行われたとき、E.G.のタンク内の空気の残圧は140bar残っており、水を飲んだ徴候は見られたものの、彼女の肺には水が入っていなかったようだったとデニーズは語っていました。彼女は、器材の故障や損失の兆候は見られなかったと言っていました。E.Gが発見時に両方のフィンをはいていたかはデニーズには定かではないが、少なくとも浮上させるときに片方が脱げたことは確かだそうです。
- この時点で、乗員や他のダイバーたちは様々なショック状態にありました。私たちのほとんどは気分が悪くなり、数時間、食べ物を受け付けなかったのです。エクアドルの当局者が乗船してきて全員ではないが私たちの何人かに質問を行ないました。彼らは最終的にはE.G.の遺体を運び出しました。
- 現時点で、私はダイブ・タイム6分目から9分目の後、E.G.を救うために彼らが何かそれ以上のことができたかどうか分かりません。彼女はこの時間帯に亡くなったと私は信じています。そう信じる根拠はキンバリーが最後に彼女を見た時間と彼女のタンクに残されたエアの量です。それ以後のすべてのことが無駄だったわけです。私は、デニーズがE.G.の遺体を見つけてくれたことにとても感謝しています。そうでなければE.G.が救出を待ち焦がれている反面、彼女を見つけられないでいる自分たちという思念に取り憑かれたままでいたことでしょう。ご家族にとってもE.G.の遺体を取り戻せたことで、疑念の余地がないと確信しております。
- ジェイミーは、ガラパゴス・アグレッサーI号およびII号のオーナー、ピーター・オルシェル氏が、別の機会に再訪する補償も含めて、旅行を続行することを望まない誰に対しても宿泊を提供するつもりのあることを私たちに伝えました。私たちのうちの7人が興味を示し、私は船の携帯電話を介してピーターと話をしました。さまざまな理由から、3名だけ、つまりデニーズ・フリオ、キンバリー、私だけが実際に船をあとにし、帰路につきました。ピーターは非常に融通のきく人物で、私たちのために何でもする用意があるように見えました。彼は動揺し、泣き明かしたように見えました。
- 続行するのが正しいとは思えない。私たちはパーティーに浮かれ、楽しい休暇をすごす気にはなれなかったのです。私たちはこのダイブマスターと潜っても大丈夫だと感じませんでした。私たちは、彼らがなすべきことについて、私たちが遭遇する可能性のある事態に対して準備ができているとは感じませんでした。しかしこれは私たちの経験不足のせいである可能性もあります。
- ピーターとはバルトラ島の空港で会いました。彼がE.G.の家族とダイバーのためにできることはすべてやる気があるように私たちは感じました。私たちは帰宅するためにありとあらゆる追加料金を負担するはめになりましたが、ピーターのスタッフはグアヤキルに戻ることができるよう手配する際に大きな助けとなりました。
- この時点で、私たちはデニーズ・フリオとかなりの時間を共にしました。彼女は自分を責め、もっとできることがあったはずだと自問しています。彼女はパトリシオが、彼がE.G.を捜索している間、グループの人たちととどまるよう指示したことに従った自分の判断を自問しています。彼女は運命的なダイビングの詳細、救助ダイビングとそのすべての詳細を何度も私たちと話し合ってきました。
- 私がこの記事を書いた2月14日に、私たちはエクアドルのグアヤキルに戻ることができました。私たちは帰りの便の空席待ちをしています。たまたまエクアドルからアメリカに戻る旅行の混雑期で席を確保することが難しく、また間際でのチケットは極めて高価です。旅行の予定を取り止めさせないためです。私は30年間もこの旅行を計画していましたが、ガラパゴス諸島に到着した約24時間後にそれは終わってしまいました。自分たちの休暇を続行することができませんでした。事故の後、E.Gの家族や友人が、私たちのこどもと同い年くらいの、悲劇的に命を失ったこの若い女性のことをどう感じ、考えるだろうかを知った上で、自分たちだけが楽しむことはできませんでした。
- 私たちは毎晩悪夢にうなされています。私がこの報告書をしたためたのも、悪夢が実際に起こったことについての私の記憶を歪めないようにしたいということです。
- それでは、この悲劇を防げたでしょうか? 以下は私の提案です。私は経験豊富なダイバーであるとは言えないことをこころにお留め置きください(10年以上の経験がありますが、その間150本で、そのうち100本は最近6年間のものです)。何か助言やお気づきの点があればお聞かせください。それが私たちの誰かを救う可能性もあります。
- ダイビング前のブリーフィングは、どのような事態が生じうるか、どういう潜水計画なのか、もっと詳細になされるべきであっただろう。
- パトリシオは、グループが実際にそうなってしまったように散り散りになってしまわないよう、もっとゆっくり潜降することができたはずだ。
- あまり深くまで潜降せずに、激流を回避することができたはすだ。第一グループのダイバーたちは明らかにそうしていた。
- アグレッサー・フリートは、ガラパゴスでのダイビングが上級者限定であることを十分に周知徹底させる必要がある。
- 体調を整え、このような難しい水域でのダイビングに悪影響を与える可能性のある薬を服用しないようにする。
- バディから離れてはならない。
- 一本目のフル・ダイビングを行うことのできる易しいポイントを見つけること。そうすればダイバーは周囲環境や自分のダイビング・バディとより慣れ親しむことができるだろう。
- すべてのダイブで衛星による位置確認装置を用いること。
- 水中でも容易に聞き取ることのできる音源を携行すること。
- ジョンの記していることに対して、ダイビングの安全を考える際の助けになる可能性のあるいくつかの洞察を付け加えたいと思います。
- まず、E.G.と私はここに記されているコメントがそう匂わせているほど離れてはいませんでした。そのように描写されるのは私としては心外です。
- 事故の前日、私たちの最初のチェック・ダイブの間、E.G.は彼女のすべての器材を正しく組み立てて、ギアにも非常になじんでいるように見えました。彼女は、新しく購入したスントのゲッコーというダイブコンピュータを持っており、潜水ベンチの上で彼女の隣に座っていた男性にその操作方法を尋ねていました。
- 彼はそのボートにいる中で最も経験豊富なダイバーで、私でも、たぶんコンピュータのセットアップに関するアドバイスなら彼に尋ねたでしょう。
- 私たちが潜水を始めたとき、彼女はウエイトを増やすためにボートに一度戻らなければなりませんでしたが、その後はOKサインを出して、潜水準備は完了していました。一回目のダイブで特筆するべきことは何もありませんでしたが、ひとつ気になった事があります。E.G.は私のすぐ後ろについて泳ぐのですが、その彼女の潜水パターンを私は好みません。私たちがボートに戻ったとき、私は、今回のダイビングに関してどのように感じたかを彼女に尋ねました。適正ウエイトの問題を除けば、彼女はそのダイブが簡単すぎて退屈だったと考えていました。私は、彼女が私の直後につくのは私にとって難しいと述べました。その位置取りでは私は彼女にシグナルを送れないし、彼女も私に送れません。彼女は「私のすぐ後ろについて潜った方が安心できる」と述べました。私は、「そうしたければ後ろにいてもいいけど、私の直後につかれるよりも左右どちらかにいる方が私は助かるわ」と返答しました。
- 2番目のダイブで水に入ったとき、ボートからバックロールでエントリーするダイバーの最後のグループに私たちがいました。彼女が位置取りをした後、OKかという私の問いに、彼女はOKシグナルを返しました。私たちが潜水グループに加わるために反転した時には、彼らはすでに潜降を始めており、私たちはグループの末尾に加わりました。
- 前日の会話がありましたから、E.G.が私の後ろについたことに私は驚きませんでしたが、彼女はまた、私が求めたように、できるだけ私の右にとどまりもしました。
- 潜水過程の次の局面では、流れに乗った形でのドリフト・ダイビングのようなものでしたので、あまりキックの必要はありませんでした。E.G.はグループから離れる方向でより右側に移動しましたので、私は自分のドリフト・ダイビングのスピードを落として彼女に近づきまし」た。私は再びOKか合図を送り、彼女はOKと合図を返しました。
- 私たちが左に旋回し、流れに真っ向から向かわなければならない領域にさしかかったとき、私は岩につかまろうと必死でした。他の大部分のダイバーが同じようにしていました。振り返るとE.Gがいません。私は、私の後ろのキンバリーが、着底して岩をつかんでいなかったので流れと必死に闘っているのを見ました。私は岩をつかむ手を離し、流れに身を任せ、つかむことのできる最後の岩まで戻り、さらにキンバリーに向かって戻りました。それでもE.G.は見つかりません。キンバリーの後ろにいて私の視界が妨げられているから見えないのかと思っていました。
- 私はグループを任せていたパトリシオと連絡をとり、E.G.に追いつくためにそちらに向かおうとしました。彼は行かないよう私に指示しました。私は自分が有能なダイバーであり、彼よりも彼女のいた場所の近くにいたので、彼の指示を無視しようかと考えました。彼は、自分が代わりに彼女を連れ戻しに行くから第一グループと一緒にそこにとどまるよう私に指示しました。
- ジョンの記事はほぼすべて正確な報告に近いと思いますが、ひとつだけ誤りがあります。E.G.はダイブマスターのコースは受けていません。デニーズ
2010年2月18日午後3時6分
| ■ 【事故の起こる前の週に乗船していたダイバーから、ジョン・ビスナー氏宛に届いたメール】 |
- 極めて詳細な説明、ありがとうございました。私はアグレッサーに私が乗船していた週に経験したことに基づいて思うところを述べさせていただきますが、誰かを非難するつもりありません。重大事故が生じるにはいくつかの理由があります。私はPADIのレスキュー・ダイバーで乗船する前に170本ほどの経験がありました。私の妻はPADIの
OWSI(インストラクター)で200本以上の経験があります。
- 私たちが休暇を計画していたときに、私たちは二人ともガラパゴスのダイビング・ポイントに潜れるだけの十分な経験が私たちにあるか不安でした。とは言え、私たちはそれまで、いろんな場所で、非常に冷たい水温で、透視度ゼロの中でのドライ・スーツ・ダイビングなど、あらゆる器材を用いたダイビングを経験していました。リスクを軽減する次のステップは、乗船三日前にプエルト・バケリソに滞在するということでした。ですから私たちはすでにレック・ベイ・ダイバーズでのダイビングを一日こなし、6ヶ月のブランクからウォームアップして、今回の旅行のために新しく購入した器材をどう使いこなしたらいいか、徹底的にチェックすることができました。
- もちろん、私たちもまた、強烈な流れという壁に遭遇しました。インストラクターの私の妻でさえ、彼女にとって流れが強すぎるとの理由で1ダイブが中止されてしまいました。私はよもや私たちのために準備しているガイドがそのようなことを言うとは予想だにしていませんでした。大物のサカナは流れの強いところに多い。だから、本当にタフなダイビングになると初めから期待していました。パトリシオがやったのは、それを実現するために最良の方法を見つける、とてもすばらしい仕事ぶりだったと思います。ジェイミーのグループはパトリシオより、ずっと流れに対して多くの問題を抱えていました。
- 私が言いたいのは次のことです。私は200本に遙かに満たない人で激流の経験のない人へのガラパゴス行きはお勧めしません。問題は次の点にあります。こうしたことをビジネス上の理由から公言してはならないということです。私たちは4000本以上の経験のあるプロと一緒に潜らせてもらっているのであり、通常の場合、どこでも広告上での上級者ポイントの必要要件は50本以上でいいとされているのです。これは間違いなく十分とは言えません。
- PADI関係者は、あなたがおっしゃっているように、大部分が湖やプールでの、60本ないしは120本程度の経験しかないような人をダイブマスターやインストラクターに認定しているのですから、事態を悪化させています。私の妻のインストラクター認定は、ダーウィンズ・アーチであったような流れに値するものではありませんでした。そこでの流れは、私たちが使っていたカレント・フックをねじ曲げてしまうほどのものでした。あてにすることができるのは経験だけです。そして、これはダイビングのガイドが提供できるものではありません。しかし私はこれまで、生徒ダイバーに現段階での能力をはっきりと伝え、彼らが自己過信しないようにつとめているインストラクターをほんの数名しか見たことがありません。同じ理由からですが、真実はビジネスには都合が悪いのです。
- これは非常に悲しい話です。すべての休暇気分が吹き飛んでしまった、やめるというあなたの反応はよく理解できます。しかし、亡くなった女性と彼女のバディだけでなく、パトリシオも今、苦しみのどん底にいると私は察します。彼が責められるべきだと私は思いません。
敬具
| ■ 【日本語訳をしていただいたパパもんさんのコメント】 |
- DANの会報などでも、ダイビング事故のレポートはありますが、通常の事故レポートはそこからなんらかの教訓を引き出し、参考にする
ことができるほど詳しいものではありません。むしろなぜそのような事故が起こったのか、肝心な点がわからないままになってしまっていることの方が多いと感じます。
- それに対して、今回のレポート は事故の当事者でもあり、しかもカリフォルニアの事故専門の弁護士の筆になるもので、極めて冷静かつ客観的に事故そのものを描写しており、もちろん人によって感じ方は様々でしょうが、ダイバーにとって考えさせられ、参考になる点が多いと思ったのが日本語訳をしようと思った動機です。
- 犠牲者のE.G.が自分の命をもって教えてくれたことを個々のダイバーの皆さんのダイビング・ライフにいかして欲しいと願っています。
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